記紀神話のイメージは、『星界の紋章』のなかでいくどか利用されている。今回はその中から天孫降臨説話を取りあげ、この説話との関連から『星界の紋章』を楽しむ視点を読者に提供することを試みる。
天孫降臨説話は『古事記』と『日本紀』で微妙な差異を含んでいるが、その根幹をなすモティーフは、アマテラスの神勅・天孫つまりアマテラスの孫ホノニニギの降臨であり、また『古事記』および『日本紀』本文にはこれにアマノウズメとサルタビコの問答が加わる。このうち『星界の紋章』に見いだされるのは、降臨のモティーフとウズメのモティーフである。
『星界の紋章』はアーヴの大艦隊が惑星マーティンの上空に現われるところから始まる。その艦隊を率いる皇太子兼司令長官の慇懃かつ威圧的な態度は、天の磐船に乗って下界へと降臨する天孫の説話を思いおこさせる。皇太子バルケー王ドゥサーニュは、小説のなかではジントとラフィールの冒険の背後を色どる点景としてのみ現われるのであるが、我々は彼の名にも、先の神話的イメージへの関係を見ることができる。
以前述べたように、バルケー王家の名は記紀神話の天忍穂命・アメノオシホに由来すると推測される。我々になじみぶかい神々、スサノオやオオクニヌシと異なり、神話はアメノオシホ自体の事跡を伝えない。『古事記』においては、アメノオシホは母アマテラスの太子(ひつぎのみこ)として現われ、葦原中国に降りそれを治めるむね神勅を受けるが、それを子のホノニニギに譲る。そしてこの天孫ホノニニギが葦原中国へと下るのである。
アマテラスの太子アメノオシホとアブリアル氏族の皇太子バルケー王、葦原中国と地上世界、これらの符合は偶然のものではなく、さほど明瞭ではないにしても記紀神話へのほのめかしを含んでいるものと思われる。なおアーヴ語の皇太子(キルーギア)はおそらく「ひつぎ」(日継)から来ていることを指摘しておく。
この降臨説話中、女神アメノウズメに関する部分にも異同があるが、アメノウズメがその途上をふさいでいた国神サルタビコと問答をする点は共通する。アメノウズメは、岩戸説話で楽(アソビ)をする神楽の創始者であり、大和朝廷の楽人・猿女君の始祖神である。しかし彼女はたんなる舞人ではない。むしろシャーマンとしての強い呪力をもつがゆえにアメノウズメは舞踊の女神なのである。アメノウズメは「手弱女人にはあれども、い対ふ神と面勝つ神」(『古事記』)、すなわち他の神と面とむかって気遅れすることのない神、大胆で気の強い神として描かれる。『日本紀』ではさらに、他の男神がひるむなか、彼女だけがサルタビコに物を問う勇気を持っていたと描かれる。
『紋章』で、レトパーニュ大公爵ペネージュことスポール准提督率いる偵察分艦隊フトゥーネは「舞踊の女神」を意味する、といわれる。フトゥーネ(*Futunéc)は「ウズメ」のアーヴ語化したものであると推察され、意味の一致からしても、神楽神(アマノ)ウズメは舞踊の女神フトゥーネであると考えられる。
さらに、天神の先頭に立って国神にひるまぬ宇受女神の姿は、たんに分艦隊の名にだけではなく、戦場にあってつねに有能な指揮官ぶりを発揮するスポールの姿にも重ねられているように思われる。
このことに関して興味深い点を二つ指摘することができる。まず作中で敵方との直接交信に当たるのはたいていはスポールの役回りにあてられている。敵方からの交信、たとえば『紋章』での敵艦隊からのスファグノーフ侯爵との交信、『星界の戦旗』でのアプティック星系首相との交信の相手をするのは、スポールであり、他の登場人物が登場することがあっても、それは彼女による交信の後となる。もとよりこれには彼女が作中でもっているコミック・リリーフとしての役割、また彼女が偵察部隊を率いているとの設定がより大きく影響しているのであるが、それでも問答をするウズメ神の影がここにはちらついて見える。とくに、『戦旗』第二巻で敵艦隊に向かって数度通信を送り、「われ、まったく唖然たり」との返答を引き出すくだりには、天の八衢に出ていく「手弱女人にはあれども、い対ふ神と面勝つ神」の像が投影されているように筆者には思われる。
また、スポールの造形には、「舞踊の女神」としてのアメノウズメ本来の姿も重ねられているように見える。『戦旗』第二巻には、「たいていの人間」を恐懼させる皇族の威厳を無視できる数少ない人間としてのスポールの姿が描かれる。いっぽう、『日本紀』本文では、ウズメがサルタビコと問答するときの挑発的ないでたちは、そのままでアマテラスを天の岩戸から引き出したときのウズメのいでたちでもある。してみれば、「い対ふ神」として念頭に置かれるべき神とは、まずもってアマテラスであると考えることも出来る。このように考えるとき、『星界』の世界におけるアブリアルと並び立つ大族スポールのイメージには、アマテラスが立て籠る天の岩戸に向いて挑発し、問答をするアメノウズメの姿がそのままに重ね合わされているとみなしうる。
本稿の主題とは直接しないが、『紋章』第二巻以降および『星界の戦旗』第一巻に登場する他の分艦隊の名も記紀神話に由来するものであり、ここにもまた記紀神話を指し示す身振りが見いだされる。たとえばトライフ艦隊を構成する分艦隊は、以下の天神地祇の名に由来すると推測される。なお、かっこ内はアーヴ語名においては失われている語要素を示している。
ビュールデーフ 美呂波神 ミロナミ ロケール 曽保理神 ソホリ ワカペール 奥津甲斐辨羅神 オキ(ツカヒ)ベラ キペール 辺津甲斐辨羅神 へ(ツカヒ)ベラ バスク・ガムリューフ 正勝山祇(神) マサカヤマツミ フトゥーネ 天宇受女神 (アメノ)ウヅメ アシュマトゥシュ 足名椎(神) アシナヅチ
ただし、天孫降臨説話に出てくる神々の名と、各分艦隊の名は必ずしも一致しないばかりでなく、むしろ他の箇所に見える神名がほとんどであることを云い添えておく。
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