星界よもやま話特別編: Sidec Lacaich 氏を悼む

前回の更新からほぼ一年が過ぎた。新しい記事がこのような内容であることが、読者諸氏に申しわけなく、また筆者自身も残念に思う。『星界の紋章』にちなんだ記事を御期待であった読者には衷心からお詫び申しあげる。

すでに「むすびにかえて」では書いたことだが、本サイト運営協力者のひとりである思考結晶科五等従士 Sidec Lacaich 氏は昨年の冬、2001年12月21日に逝去された。35歳だった。死因については御遺族の意向により、ここには書かない。筆者としては、ただ、早すぎる死を悼むばかりである。なおこの小文を記している 5月21日は、ちょうど氏の逝去から五箇月目に当たる。読者諸氏には、お知らせが遅れたことをお詫びするとともに、できれば筆者とともに氏を悼んでいただければ、と思う。もちろん、強いてお願いするようなことではないのだが

筆者は氏の葬儀と、その一週間後に行われた氏の生誕記念三十六年宴会、つまり geucec roborhotr、「弔いの宴会」(『星界の戦旗 I』)の両方に連なった。以下、それを簡単に記して、読者諸氏への無沙汰のご挨拶に替えたく思う。


これといった宗教をもたなかった氏の葬儀は、逝去の翌日、土曜日の午後、無宗教で行われた。葬儀は氏にふさわしく、仰々しいところのない簡素なもので、御親族と若干の知人によって営まれた。総勢二十余名。式の間中、ガブリエル・フォレの『レクイエム』が長れていた。献花ののち、夫人と御父君から挨拶があり、花などを投じたあと、棺の蓋が閉められた。逝去された前日、氏が枕頭で読んでいた『星界の戦旗II』を棺に入れたいという夫人の意向は、地元自治体の条例により叶わなかった。氏が愛したいくばくのもの――牛乳・パンの耳・懐紙につつんだ抹茶・ある Tabletop RPG の付属品――が棺に収められ、レクイエムの最終曲 In Paradiso 「楽園にて」が流れる中、氏の棺は葬儀会場を出ていった。

氏の誕生日は12月27日、ちょうど世間でいう初七日に相当する日でもあった。急なことでもあり、内輪にとどまった葬儀と異なり、弔いの宴会には多数が参集した。その前日 12月26日に各方面への通知がなされるというあわただしい状況にも関わらず、遠方からの客人も数名あった。諧謔を愛した氏らしく、あるいは報いというべきか、少なからぬ人数の客人からは、黒枠に収められた氏の遺影を眼にするまで、氏と夫人が二人、「わーい。ひっかかった」と玄関に出迎える可能性がどうしても脳裏を去らなかった、と聞く。筆者自身はそのような発想には及ばなかったが、確かにいわれてみると、その思いつきのほうがむしろ自然であるようにも思われる。

というのは夫妻はたびたび意図してネットワーク上に冗談を仕掛けてきたからで、まず二人の結婚が最初に公にされたのがあるメーリングリストの四月一日の配送、そしてこのメーリングリストには四月一日の配送は、ほぼ冗談記事だけという暗黙の慣習があったため、婚約発表記事は「当たり前すぎる組み合わせのしょぼいネタ、不発の冗談」として数日間無視された。その後冗談ではなかったことに思いあたった会員からの遅ればせの確認、お祝い、あるいはそれを通りこして、詰問のような反応がメーリングリストに流れた。冗談の遅延爆弾とも呼ぶべきだろうか。なかには「そんな大事な知らせを四月一日に出すなどと、二人とも常識を欠くにも程がある」という批評をした人までいた、とも伝え聞く。

あるいは夫人が長らく旧姓で活動していたこともあり、二人が夫婦であるということは、The Internet 上では、夫妻と面識のある人々、あるいは夫妻の両方とネット上の交際のあった人たちだけ――それでも各メーリングリストの会員などを足しあげれば、軽く千人は越えていたであろうが――に知られていた。その間、ネット上の議論での、二人の共闘、逆に「fj.* で夫婦げんかするの、やめてください」というメイルが個人宛てで届いたほどの激しい、しかしもちろん互いへの敬意を前提にした議論、ときには――これが一番多かったわけだが――あるいは互いへの微妙なあてこすりを含み、あるいはたんによく会う機会のある友人を装った身辺雑記が、記事の内容ともども、秘密を共有している読者にひそかな愉悦と諧謔を長らくもたらしてきたこと――そうしたことを考えれば、自分の死という一生に一度しかない出来事すら、この二人なら冗談の種にするのではないかという客人たちの懐疑は、むしろ次の考えを呼びさます。氏は意図して、友人たちへの別れの挨拶として、この壮大な冗談の仕掛を残していったのではないか、そして死と宴会の通知が慌しかったのは夫人が積極的にその冗談に共謀したからではなかったか、という疑問。

そのあえて疑問を追及するのは野暮であろうから、以下簡潔に弔いの宴会の模様を紹介し、この小文を終えることにしたい。

弔いの宴会は夕刻から行われた。客人が持ちよった、手が込んではいないが美味な食物、同じく持ちよったもの、あるいはまた氏の愛蔵の酒が供され、最初はしめやかに氏の葬儀の事情や氏ありし日の思い出話などが交わされたものの、夜が更けるほどに、冗談なくしては触れようのない氏の人となりに促されるように、数々の話題が飛び交い、それに誘われて起こる爆笑・歓声・拍手。辞す客があれば新たな客が到来し、ついに宴が果てたのは夜明けも近い未明五時であった――と聞く。供された品のなかには、氏が新婚旅行の帰り、自ら膝の上に載せて持ち帰ったジュヴレイ・シャンベルタン '92 もあり、これを客のひとりが転んで氏の骨壷に掛けるという珍事もあった。おそらく氏も、我々に交じって、一口その味を確かめてみたかったのであろう、と筆者は信じる。

筆者 Sidrÿac Borgh=Racair Mauch にとって、氏はかけがいのない友であり、筆者は生涯氏との交友が続くことを疑わなかった。筆者は現在いる場所に移り住んで二年後に、氏と知遇を得たのだが、計算機やネットワークのことにはじまり、様々の趣味また生活上の工夫に、あるいは人生の決断に、よろず氏の助言をいただいてきた。いま氏を失い、あらためて筆者にとって氏の存在がいかに大きなものだったかを、思わずにはいられない。

本サイト『アーヴ語の世界』だけに関しても、その立ち上げ時から、氏には御多忙のなか、いろいろの協力をいただいた。当初、筆者が IP reachability を持たなかったこともあり、『アーヴ語の世界』はしばらく作成したコンテンツを氏にお渡しして、氏の手で WWW 上にファイルを置くという手段を取っていた。そのような状態が一年近く続いたかと思う。またサイトデザインについても、html ファイルの記法に始まり、氏にはさまざまの御教示をいただいた。雑誌記事などに名前を残すことはなかったが、某有名サイトまた某広域ネットワークの管理者として、知る人ぞ知る技術者であった氏らしく、その御教示は細心に渡るものであった。ここに記して、氏に感謝の意を表するとともに、氏亡きあとも本サイトの運営を続け、氏の名を「協力者」として WWW にとどめることが、せめても筆者と本サイトに氏より賜った諸恩へのつぐのいになればと思う。(05/21/2002)

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First publification: 5/21/2002
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